米Microsoftは8月23日までに、Windowsのコントロールパネルを廃止すると、Windows 10/11のサポートぺージで明らかにした。具体的なスケジュールは明かしていないが「設定アプリに取って代わられ、廃止される予定」(同社)という。
⇧ 何と言うか、「コントロールパネル」を廃止するのであれば、「コントロールパネル」で行っていた操作と、代替先の「設定アプリ」の操作との「対応表」を公開して欲しいですな。
⇧ とあるのですが、タスクの進捗管理をどうしているのか謎ですが、「対応表」のようなものがあれば、テストもし易いと思うし、全ての移行作業が完了したら「対応表」を公開すれば良い気はしますな。
まぁ、Windowsを使って開発している人にしか影響がないから(数は限られている)、「移行コスト」はWindows利用者に丸投げという考えでいるのか。
仮に、「コントロールパネル」でのタスクによる操作が100ケースぐらいあるとしたら、それを「設定アプリ」のタスクの操作に置き換えるって結構手間よね...
人それぞれ幸福度に対する度量衡は異なると思いますが、お金で解決するケースは多そう
何やら、IT(主にソフトウェア開発に関する話についてと思われますが)についての話が盛り上がっておりますが、
⇧ 要するにエンジニアが抱える負担が増え続けているということを言いたかったんですかね?
その前に、Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/IT)によると、「IT」(全て大文字)という用語には、
No | 領域 | 名称 | 正式名称 | 作者 | 初出 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 情報処理 | IT | Information Technology | Harold J. Leavitt and Thomas L. Whisler | 1958年 |
2 | ソフトウェア開発 | IT | Integration Test | ||
3 | 原子核物理学 | IT | Isomeric Transition | ||
4 | 小説 | IT | IT | スティーブン・キング | 1986年 |
5 | TVドラマ | IT | IT/イット (テレビドラマ) | トミー・リー・ウォーレス | 1990年 |
6 | 映画 | IT | IT/イット “それ”が見えたら、終わり。 | アンディ・ムスキエティ | 2017年 |
7 | 映画 | IT | IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 | アンディ・ムスキエティ | 2019年 |
⇧ の種類があるのだけど、今回ネット上で盛り上がっている「IT」はというと「Information Technology」についてを語っていらっしゃるかと思われますと。
話が脱線しましたが、個人の見解ですが、確かに、エンジニアが抱える負担が増えている感は否めないような気はしますと。
原因としては、
- 関わらざるを得ない技術が増えすぎた
- 技術のキャッチアップに時間がかかる
- 影響範囲の調査に時間がかかる
に落ち着くような気がしますかね。
Web系のソフトウェアエンジニアあるあるなのかもしれないですが、フレームワーク、ライブラリが良しなにしてくる分、開発で利用するフレームワーク、ライブラリが増えたら、当然、使いこなすための学習時間が増えますと。
そもそも、思想とかが難解だったり、多機能なフレームワーク、ライブラリだと、使いこなすために殊更に時間がかかりますと。
(ドキュメントに載っていない情報とかもあるので、情報収集だけで相当な工数を強いられる)
そうなると、当然、フレームワーク、ライブラリなどの制約(何ができて何ができないのか)について調査が必要になるものの、ブラックボックス化していることが多々あるため調査は難航し、加えて、他のライブラリへの影響などについても調査せざるを得ないこともあり、技術選定で時間が取られますと。
また、技術が使いこなせていない状態で、且つ、技術がアップデートされていく頻度が高くなったせいで、解決策を探す際の範囲が広がってしまっていることも影響していそうな気がしますと。
そして、保守性の低いシステム(「疎結合」になっておらず、依存し合っている個所と依存していない個所の特定が困難。「変更容易性」の低い状態。)で、影響調査に時間がかかるのと同じ様に、調べざるを得ないことが増えれば、エンジニアの負担は増えるわけですと。
利用しているライブラリの数が増えるほど、何が影響しているかを特定し辛くなるので、影響調査は難航しますと。
実際の開発で必要となるような情報についても、情報発信をしてくれている人が増えてくれれば良いんですが、そうなってはないものね...
ちなみに、ちょっと前に流行った「ノーコード」「ローコード」なども、それ自身で実現できない「機能」などは、別のライブラリなどで対応する感じになる所謂「カスタマイズ」の雨霰になるようなので、影響調査のコストは大きそうですと。
おかげで、解決策の調査時間ばかりが膨れ上がって、徒労感だけが積み重なっていく日々に精神が蝕まれていくことあるあるですと。
で、エンジニアの負担は上がり続けるが、給与は上がらないと...
これで、ポジティブな気持ちになれる人間がいるとしたら、なかなかの狂人と言える気がしますが...
元々、IT関連について面白いと感じた事の無い人間は別として、『ITが面白い時代は終わった』という思考については、
用語・解説
自分こそが手に入れたかったが、到底かなわない対象と判断・諦めた後に、一部の人々はその対象を一転「価値の無いもの」「自分にふさわしくない低級なもの」と無意識に思い込もうとし、それを理由に諦めた原因である己の能力の不足と向き合うことから逃げて、心の平安を得ようとする。
フロイトの心理学では、この人々の自己正当化・自己防衛思考を防衛機制および合理化の例とする。また、社会心理学においては、認知的不協和の例とされる。英語には、この寓話を元に生まれた熟語として "sour grapes" があるが、これは「負け惜しみ」を意味する。「負け惜しみを言う」が"cry sour grapes" 、「負け惜しみを言う人」は"sour loser"や"bad loser"と言われている。
⇧ の説明にある「認知的不協和」な心理状態にあるということですかね?
何をもって「IT」に対して「面白い」としているのかの定義が分からないので何とも言えませんが...
まぁ、それでも、全く「IT」に対して「面白い」と思ったことがない人間からすると、一度でも「IT」に対して「面白い」と感じられていた時があったというのは幸せなことだと思いますが。
ちなみに、
いずれにしても、最新の研究結果では、「お金持ちほど幸せになれる」ことを意味します。
⇧ とあるので、余程の特殊な事情が無い限り、莫大な「お金」がもらえてさえいれば人間は幸福でいられるわけですと。
少なくとも、「将来に対する漠然とした不安」は、「生活手段」つまり資本主義では「お金」が不足するかもしれないことに対するストレスと言えると思うので、「お金」によってストレスの一部は解消できそうですと。
ただし、
貨幣(かへい、英: money)とは、経済学においては、財・サービスとの交換価値情報、及びそのメディア(媒体)の総体であって、財・サービスとの交換や保蔵ができるものであるとの社会の共通認識のもとで使用されるものである。また、それは以下の要件を満たす。
- 商品交換の際の媒介物で、価値尺度、流通手段、価値貯蔵の3機能を持つもののこと。
- 商品の価値尺度、交換手段として社会に流通しているもので、またそれ自体が価値あるもの、富として蓄蔵を図られるもの。
⇧「お金」が上記のような要件を満たしている限りにおいてになるとは思いますが。
故:岸部四郎氏も、
主なギャグ
- 「オレを誰や思てんねん! 元・金持ちやぞっ!!」
- バラエティ番組に出演するときに、若手芸人・タレントからツッコまれるときに言い返すセリフ。
- 「もう、金しかないなぁ!」
- 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で再三再四ドッキリに引っかかったときにダウンタウンらに言い放ったセリフ。
⇧「お金」を前面に押し出してましたし...
とりあえず、働かなくても良くなるぐらいの「お金」が欲しいですな...
ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論(英: Bullshit Jobs:A Theory)は、アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーによる2018年の著書で、無意味な仕事の存在と、その社会的有害性を分析している。
彼は、社会的仕事の半分以上は無意味であり、仕事を自尊心と関連付ける労働倫理と一体となったときに心理的に破壊的になると主張している。グレーバーは、5種類の無意味な仕事について説明し、そこでは、労働者は自分の役割が自分の知っているほど無意味でも有害でもないふりをしているとする。
⇧ 仮に「ベーシックインカム」を普及されたとして、労働しなくても良いぐらいの「お金」が貰えるのであれば良いんですが...
⇧ AIに全ての「労働」を託して、人類は各々が好きなことだけをして過ごせる社会になって欲しいものですな。
歴史
未開社会
未開社会(現代文明の感化を受けていない社会)の人々も、昔も今も、文明化された現代人と同様に生産活動を行っている。生産形態が狩猟採集であれ、農耕であれ、人々は生活手段を獲得して、それを共同体のメンバーに分配する。未開人の生産活動と、現代人の「労働」とは、見かけは同一のようではあるが、その生産活動を実際に生きて解釈するしかたというのは、現代人のそれとは異なっている。未開社会の生産当事者にとっては、生産活動は宗教・芸術・倫理を生きているのであって、決して文明人が言うところの「労働」をしているのではない。
⇧ 文明人が言うところの「労働」が何なのかは分かりませんが、人類を「労働」から解放して欲しいと思ってしまう、人間だもの。
「ワーカーホリック」でもない限り、「労働」からの解放を拒む理由はないはず...
ちなみに、
仕事中毒(しごとちゅうどく、ワーカホリック、英:workaholic)とは、生活の糧を得る手段であるはずの職業に、私生活の多くを犠牲にして打ち込んでいる状態を指す言葉である。
ワーカホリックは「私は働かなければならない」(I have to work)と認知しており、一方でワーク・エンゲージメントは仕事への態度が肯定的である、すなわち「私は働きたい」(I want to work)であるという点において区別される。
⇧「私は働きたい」と肯定的に思っている「ワーク・エンゲージメント」に分類される人類(変態)もおるそうです...
しかし、「私は働きたくない」と肯定的に思う我々は、「リラックス」の極限、右下隅に辿り着きたいわけであると。
つまり、
分類 | 活動水準 (横軸) |
仕事への態度・認知 (縦軸) |
---|---|---|
リラックス | 快 (右端) |
働かない (下端) |
に振り切りたいと。
話が脱線しましたが、「好き」とか「興味ある」とかいった動機でIT関連の仕事をしている人以外については「ITつまらない」と思っている人がいるだろうし、むしろ、「ITつまらない」勢の方が「マジョリティ」なんじゃなかろうか?
ITは稼げますと、騙されてIT業界に参画した身からすると、「IT興味ない」がデフォルトな気がしてしまいますので。
故に、毎日が苦行となっているわけですが...
何が言いたいかというと、「ITが面白い」「ITがつまらない」、いずれも個人の見解であって、客観的な「事実」を表わしているわけではないと。
であるからして、公的な文書でもない限り、誤解されないように、『私はこう思っています』的な一文を入れておけば良いとは思うんですよね。
エンジニアを生業としている人なら、
- 事実
- 推測、憶測
が全く別物ということは、至極当然の認識であるわけですが、「2. 推測、憶測」の内容を「1. 事実」とするようなこと(「捏造」「虚偽」を働いたとみなされる)は、御法度であり万死に値する所業となるので、公開する情報が、そのように捉えられかねないように注意が必要ですと。
意図せず、「2. 推測、憶測」の内容を「1. 事実」と捉えてしまう誤認もあるので、難しいのですけど...
特に「仮説思考」などのアプローチで取り組んでいて「仮説」とか取り入れているようなケースだと、「2. 推測、憶測」の内容を「1. 事実」と捉えてしまう誤認が発生し易いのかなと。
不特定多数の人が閲覧できることを想定した情報を公開する以上は、
- 事実
- 推測、憶測
のどちらの立場での内容なのか明確にしておくと親切なのかなと。
(公式のドキュメントなどは、「1.事実」のみで構成されていてもらわないと困る)
後は、自らが発信する情報で「参考」にした考えがあるなら、「参照元」を明記しておくとかですかね。
「言論の自由」はあれど、「個人の見解」なのか、「第三者による見解」なのか、についてはハッキリできると良さそうですかね。
基本的には、ほぼ全て「個人の見解」になる気がしますかね。
何らかの情報を元にしている場合、「私はこう解釈した」以外が無理な気がするので、どうしても「個人の見解」に収束せざるを得ない気がしますし。
「論文」とかのように研究の結果を「事実」として述べているような場合は別ですけど。
ちなみに、「老害」という用語は、
⇧ 上記サイト様によりますと、
『老齢による弊害。企業や政治の中心にある人たちの高齢化を批判し、若返りの必要性をこめていう語。』
という意味らしい。
「老齢による弊害」という何とも曖昧な感じなので、何をもって「老害」とみなされるのか、「老害」の判定基準が分からな過ぎるんですが...
「長老の知恵」「温故知新」などという言葉があるからして、盲目的に「老齢」が悪いとは言えないと思いますが、「老害」とみなされないためには「柔軟性」が大事ということですかね。
「若返り」は、
若返り(わかがえり、Rejuvenation)は、若くなるための行為を指す。アンチエイジングは抗老化医学と言われ、老化を防ぐために行う行為の総称。
⇧ 本来的には、「生物学」的な「老化」に対するアプローチを意味している用語ですと。
「老害」の説明で出てくる「若返り」は、「現状打破」的なこと、つまりは、「何某かの変化」を期待しているからして「何か新しいこと導入したい」ってことを言いたいんかな?
まぁ、一般的に「メリット」「デメリット」を説明してくれて、「メリット」が大いにあるのであれば、新しい方法を導入してみようかという話の流れになると思うのですが、このあたりの「メリット」が感じられないと導入は見送りとなる傾向が多いような気がしますと。
既に実績のある方法については、「メリット」「デメリット」が説明されず、新しい方法についてだけ「メリット」「デメリット」の説明を強制してきたりすのであれば、「老害」認定されてもおかしくない気はしますが...
お互いに敬意をもって、公明正大であれば、「老害」認定を回避できるのであろうか?
「老害」の判定基準がハッキリしないので、「老害」認定はかなりグレーゾーンな話であると言えそうですが...
言い方は悪いですが、「魔女狩り」と同じ構造で、「老害」認定する側の匙加減一つな気がするので、「冤罪」のケースが多そうな気はしますな...
魔女狩り(まじょがり、英: witch-hunt)は、魔女とされた被疑者に対する訴追や死刑を含む刑罰、あるいは法的手続を経ない私刑(リンチ)等の迫害を指す。魔術を使ったと疑われる者を裁いたり制裁を加えたりすることは古代から行われていた。
ヨーロッパ中世末の15世紀には、悪魔と契約してキリスト教社会の破壊を企む背教者という新種の「魔女」の概念が生まれるとともに、最初の大規模な魔女裁判が興った。そして初期近代の16世紀後半から17世紀にかけて魔女熱狂とも大迫害時代とも呼ばれる魔女裁判の最盛期が到来した。
魔女狩りとは必ずしも過去の出来事ではなく、現代でもアジアやアフリカを中心に行われている(詳細は後述)。例えば、インドでは2000年から2019年までに少なくとも2975人が殺害された他、多くの女性が「魔女」として暴行や追放を受けているという。
⇧ 最早、不条理過ぎますが、「情報操作」と「群集心理」によって「同調圧力」「思考停止」状態になって判断能力を麻痺させられていることにすら気付かない怖さ...
「老害」の判定基準をある程度、定義して共通認識を普及させておかないと「老害」風評被害者の会とか発足しそうですな...
ソフトウェア開発の最終成果物であると思われる「情報システム」の分類が明確になっていない問題
ようやっと、本題。
『ソフトウェア開発の最終成果物であると思われる「情報システム」の分類が明確になっていない問題』について。
てっきり、「独立行政法人情報処理推進機構(IPA:Information-technology Promotion Agency, Japan)」とかが「情報システム」の分類について整理してくれて公開してくれているものとばかり思っていたのですが、そのようなドキュメントは公開されていない様子。
Oh, my gosh...
う~む、「情報システム」の分類が為されていて欲しいと感じてしまう私が異端なのだろうか?
ネット上の情報を漁っていた感じでは、
私は組み込みシステムを開発しているのですが、組み込みシステムの上位概念と同位概念は何になるだろうか?と疑問に思い整理しました。ソフトウェアエンジニアを目指す方のヒントとかになれば幸いです。
ソフトウェアエンジニアが開発する情報システムの分類 - YU2TA7KA's BLOG ~take one step at a time~
⇧ 上記サイト様が分類して下さっておりましたと。
Wikipediaの「情報システム」のページの説明によると、
情報システム(じょうほうシステム 、英:Information system)、または情報処理システム(じょうほうしょりシステム、英:Information processing system)とは、情報の処理や伝達などを行うシステム。
コンピュータやネットワークなどを使用する、いわゆるコンピュータシステムを指すことも多い。またはITシステムとも呼ばれることも多い。
情報システムと情報処理システム
いずれも情報処理を目的とするが、情報システムは人や機械、コンピュータから構成される仕組み全体を指し、情報処理システムは情報システムの内、コンピュータから構成される仕組みの部分を指す。
⇧ とあり、ソフトウェア開発における最終成果物は「情報システム」に属しているとは言えますと。
で、残念ながら、
企業内の情報処理システム
明確な定義は存在しないが、一般的には企業内に構築されている情報処理システムは、主たる機能と運用方法の違いによって以下の2つのシステムに分けて扱われることが多い。
⇧ 明確な分類が無いみたいね...
ネット上の情報が錯綜してるわけだ...
⇧ う~む、列挙されているだけで、全く分類されておらんではないか...
ソフトウェア開発におけるゴールである最終成果物といえるであろう「情報システム」の分類が不明瞭であることから、我々は、雰囲気で開発していると言えなくもないですかね...
ちなみに、「独立行政法人情報処理推進機構(IPA:Information-technology Promotion Agency, Japan)」の公開しているドキュメントによると、
「エンタプライズ系ソフトウェア」は、企業の業務システムや情報システム、銀 行、証券、病院、鉄道など大規模かつ社会基盤を支える情報システムなどに含まれ、それらのシステムの機能を中心となって実現するものです。これらのソフトウェアは、それによって提供されるサービスの陰に隠れて、国民の目には見えにくいものの、国民生活や社会経済活動を支える重要なインフラとなっています。
⇧ とあり、
- 業務システム
- 情報システム
と、同位概念での分類となっていそうであり、情報が錯綜しておりますと...
(Wikipediaの情報を正しいと仮定すると、「情報システム」が分類図の頂点になるので、仮に「業務システム」という分類があるとするなら、「情報システム」の下位概念になるはず...)
何と言うか、
- マクロな視点
→ 全体を俯瞰。全体像を把握する。構成してる各要素の関連を把握する。 - ミクロな視点
→ 各要素に焦点。各要素の構成を把握する。
を使い分けながら、「TO BE(あるべき姿)」を模索していく感じになると思うんですが、全体像の情報が分類・整理されていないと「マクロな視点」で考察し辛い気がするのですけどね...
ちなみに、「マクロの視点」「ミクロの視点」は、
微視的(びしてき、英: microscopic)とは、肉眼で見えない微小な物や事。ミクロスコピックまたはミクロともいい、通常は物の構成要素(分子、原子、原子核、素粒子)を意味する。顕微鏡で見られる大きさの物を対象とすることもある。広義には、一つの体系を構成する個々の要素またはその挙動も意味する。
これに対して、巨視的(きょしてき、英: macroscopic、マクロ)は、本来は肉眼で見える大きさの物や事柄を意味するが、分子、原子などの多数の集合体の意味として用いられている。巨視的な対象が古典力学で記述されるのに対し、微視的な対象はしばしば現代物理学である量子力学での取り扱いを要する。
⇧ イメージ的に、上記の考え方に近い感じかな。
ちなみに、この「ミクロ」と「マクロ」を行ったり来たりしていく概念は、日本が発祥らしい。
ミクロ・マクロ・ループ(英語: micro-macro loop)は、組織論・会計学・経済学・人工知能論・社会科学方法論の分野などで主題となっているが、分野により意味に異同がある。日本で生まれた概念である。人によってミクロマクロ・ループ、ミクロ・マクロループなど表記にゆれがある。
今井賢一・金子郁容のミクロ・マクロ・ループは組織論的な考察であるが、塩沢由典のミクロ・マクロ・ループ論は、社会科学の方法論として提案されている。方法論的個人主義・方法論的全体主義の双方に問題があるとの認識に基づいている。
概念と異同
今井・金子の『ネットワーク組織論』では、「ミクロ・マクロ・ループとは、ミクロの情報をマクロ情報につなぎ、それをまたミクロレベルにフィードバックするという仮想上のサイクルのことである」と定義されている。
清水博の「ホロニック・ループ」は、「マクロとミクロの間のフィードバック・ループ」と簡単に定義されている。
塩沢由典によるミクロ・マクロ・ループの初出は、専修大学社会科学研究所のシンポジウムにおける報告「慣行の束としての経済システム」でミクロ・マクロ・ループを論じたのが最初である。
⇧考え方としては、ヘーゲルの「弁証法」の「正反合」の概念に似たようなことをしたいのかなと。
弁証法(的)論理学
ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)される。
このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた統合されて保存されているのである。
ドイツ語のアウフヘーベンは「捨てる」(否定する)と「持ち上げる」(高める)という、互いに相反する二つの意味をもちあわせている。なおカトリックではaufhebenは上へあげること(例:聖体の奉挙Elevation)だけの意。
⇧「二項対立」的に2つの観点から、より良い着地点を見つけるためのループになってますからな。
まとめると、
手法 | 対象1 | 対象2 | 成果物 |
---|---|---|---|
ヘーゲルの弁証法 | 正 | 反 | 合 |
ミクロ・マクロ・ループ | ミクロ | マクロ |
⇧ というような感じになると。
「ミクロ・マクロ・ループ」については、特に「成果物」について言及は無いと。
何やら、
ミクロ・マクロリンク
ミクロ・マクロ・ループと類似の概念としてミクロ・マクロリンクあるいはマクロ・ミクロリンクがある。この概念は、欧米の社会学などでも使用されている。
しかし、これは全体(社会)と個人の行動とに密接な関係があることを強調するのみで、情報のループとしても、定型行動の全体過程による選択という視点も明確でない。
⇧「ミクロ・マクロリンク」という概念も存在すると。
ちなみに、
合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、英: fallacy of composition)とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。
⇧「経済学」の分野では、
- マクロな視点
- ミクロな視点
で相互補完が崩れるケースも出てくると。
まぁ、「量子力学」に至っては、「マクロな視点」の概念では説明が付かないような研究ではありますし。
話が脱線しましたが、
- マクロな視点
→ 全体を俯瞰。全体像を把握する。構成してる各要素の関連を把握する。 - ミクロな視点
→ 各要素に焦点。各要素の構成を把握する。
で「システム」の構造を理解する上でも、開発する「システム」が数ある「情報システム」の内のどの種類のものに該当するのかについて、分類が為されているべきな気がするんですよね。
何と言うか、
概要
戦う場合には、敵と味方の両方の情勢をよく知った上で戦ったならば、何度戦っても敗れることはないということを意味する。この言葉では、戦う場合には自分と相手の両方の優劣長短をよく知ることが大切であるとされている。
歴史
この言葉は孫子の謀攻からの言葉であり、勝つために必要なこととして挙げられている。孫子の謀攻ではこの言葉に続いて、敵のことを知らずに味方のことだけを分かっている場合には勝ち負けの割合は半々になり、敵のことも味方のことも分かっていないようでは、ほぼ負けるとされている。
⇧ と昔の偉い人が良い言葉を残してくれていますが、「情報システム」の分類をしていないということは、取組むべき対象についての分析を怠っていることに他ならないからして、開発の成功率を下げることはあっても上げることは無いと言えそうですかね。
可及的速やかに「独立行政法人情報処理推進機構(IPA:Information-technology Promotion Agency, Japan)」が主導で「情報システム」の分類を整理して欲しいんですけどね...
独立行政法人情報処理推進機構(じょうほうしょりすいしんきこう、英: Information-technology Promotion Agency, Japan、略称: IPA)は、日本のIT国家戦略を技術面・人材面から支えるために設立された独立行政法人(中期目標管理法人)。所管官庁は経済産業省。
⇧ 経済産業省がやる気が無いのか、「独立行政法人情報処理推進機構(IPA:Information-technology Promotion Agency, Japan)」がやる気が無いのか、分かりませんが、組織の役割を意識して欲しいですな...
まさか、「独立行政法人情報処理推進機構(IPA:Information-technology Promotion Agency, Japan)」が「老害」の巣窟と化しているなんてことは無いと信じたいのだけど...
毎度モヤモヤ感が半端ない…
今回はこのへんで。